長崎県内の石造アーチ橋が、またしても消えてしまった


昭和の始めから、島原市の玄関口で頑張ってきた、国道に掛かる川北橋が消えてしまった。
国道の拡張工事で、すっぽりとコンクリートに覆われてしまって無様な姿になってしまった。

7〜80年も頑張ってきた石橋が、わずか30年も持たないコンクリートに覆われてしまった。

失われた先人からの遺産は、二度と戻ってこないのに、こんなにも安易に姿を消し去ってしまう。先人への敬意を払うことさえしない行政の醜い姿。

長崎県の石橋を訪ねて

2008年03月08日 橋を訪ねて トラックバック:0 コメント:7

もしかしてこの橋は、ジョイフル手前にある橋ですか?

2008年03月08日 仮名らいだ〜 URL 編集

その通りです。
私の職場の島原営業所を過ぎて、ジョイフルの手前の橋です。

2008年03月08日 zento URL 編集

コメント頂き恐縮です。

その上で批判じみた事を書き込むのもあれですが、
70年も使えば老朽化するのは当然では?

誰も壊したくて壊すわけではないでしょう。
ただ、不測の事態に拠る事故ですら批判されるのが行政です。
風の息づかい〜は有名な全国紙の珍発言ですし。

そうなれば、伝統を守る意義と、崩落事故の危険性を比較し、
後者を選ばざるを得ない面もあるのではないでしょうか。

よく言われる、人命は地球より重い、というやつです。

2008年03月10日 冬木乱雪 URL 編集

ご意見有難うございます。

ただ、コンクリートの強度は30年程度です。まして道路橋のような振動がある場合は、さらに短くなります。

ちゃんとした石橋は、数百年の命を持っていますし、万が一崩壊しても、石材は再利用できます。(改修できればですが)コンクリートの場合は、産業廃棄物になってしまう(最近は再生もされていますが)ことになります。

なんにせよ、人の寿命よりも長い命を、安易に、地元協議もせづに、葬り去るようなのが現代社会です。

無くしてしまわなければ、その価値を理解できない人が多すぎます。

2008年03月10日 zento@仕事中 URL 編集

よく聞く話ですね。

移動手段として日常的に自動車が用いられるようになったのはここ数十年の話です。
橋への負荷は、ここ最近で急激に上昇しているにも拘らず、それ以前の年月を以って何年持つ持たないとの論は片手落ちでしょう。

コンクリートの強度に関しても、
コンクリートの最低値と石組みの最大値を比較するのは間違いですし、
劣化した石の改修は難しいでしょう。
かつては田畑の管理用に廃石材を用いましたが、現在では需要がありません。
粉砕して、コンクリートの材料には出来るかもしれません。

また、地域協議についても、
日本国が間接民主制を採る以上は限度があります。
言い方が悪いですが、たかが一土木工事毎に一々会議を開いていては、行政が成り立ちません。

否定的な事ばかり書きましたが、
一見ろくでもないように見える行動でも、理由はあるものです。
それを知らねば、効果的な説得は難しいのではないでしょうか。

所謂市民団体がよく陥っている罠です。
同じ穴の狢になられぬよう、ご注意を。

2008年03月10日 冬木乱雪 URL 編集

おっしゃる事は、私がいつも言われて入ることですので、大変良くわかります。

ただ、私が思うのは、この長崎県の中でも、鹿町で町の文化財にも成っていた、大加勢橋が、水害時にもなんら障害にもなっていなかったにも関わらず、県の河川改修の際に、文化財の指定を解除されて、なおかつ住民には移築することを匂わせて、結果として財源を理由に放置され、今は寺院の駐車場の装飾になってしまった事実です。

行政の効率化も判ります。所詮、懐古趣味の誹りも理解できます。

しかし、一度失われたものは、回復が困難だと言うのも事実です。

民主主義は愚民政治だと言うつもりもありませんし、多数の正義がまかりと通る時代であることも認識しています。

個人の意見が重きをなさない時代であり、効率が最優先される正義があるのかも知れません。

そうそう、私は諫早の変化狸ですから、狢は親戚ですね。

2008年03月10日 zento URL 編集

懐古趣味、結構なことでは?

橋も人も動物も、何れは失われるわけです。
雨垂れが水面に波紋を広げる様を無意味と言うのは、
所詮は泡沫に過ぎない己を否定することとなんら変わらないでしょう。

守る者と切り開く者の役割分担にこそ、民主主義の意味があるのではないでしょうか。

2008年03月10日 冬木乱雪 URL 編集












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